ILOのレポートに見る気候変動と労働安全衛生
気候変動が世界の労働者に与える影響は、ますます深刻になっています。国際労働機関(ILO)の最新報告書によると、異常気象現象、紫外線(UV)放射、大気汚染、化学物質への曝露など、多岐にわたる労働安全衛生(OSH)上の課題が生じています。本ブログでは、これらの主要な課題と、労働者の安全と健康を守るための対策について掘り下げていきます。
出典:Ensuring safety and health at work in a changing climate
(https://www.ilo.org/ja/publications/ensuring-safety-and-health-work-changing-climate)
過度な熱が労働者にもたらす脅威
地球温暖化が進むにつれて、労働者が直面する最も直接的な脅威の一つが過度な熱です。ILOのデータによると、毎年約1万9千人の労働者が熱関連で死亡し、約2千3百万人が負傷しています。さらに、2620万人以上の労働者が職場の熱ストレスに関連する慢性腎臓病を患っていると報告されています。
過度な熱は、高血圧や不整脈といった症状の医療相談の増加にも繋がります。例えば、チリのサンティアゴ首都圏での2023年の調査では、気温が35℃の日には、25℃の日と比較して医療相談が23%増加しました。最高気温が38℃に達すると、医療相談は2倍に増加しました。カリフォルニア州の調査では、職場の気温がわずかに上昇するだけでも、年間2万件の追加の負傷が発生し、その社会的費用は10億米ドルに上ると推定されています。気温が32℃(90°F)を超えると、負傷のリスクが6~9%高まり、38℃(100°F)を超えると10~15%増加します。
特に屋外作業者、農業従事者、建設作業員などが高いリスクにさらされています。
各国では、労働者を熱から守るための様々な措置が講じられています。
- 日本:2023-27年第14次全国労働災害防止計画では、熱中症予防が重点目標の一つとされており、湿球黒球温度(WBGT)値に基づいた熱ストレス対策の強化、熱中症による死亡率の削減が掲げられています。
- ベルギー:軽量作業で29℃、中~重作業で26℃、重作業で22℃、超重作業で18℃というWBGT指数による最高気温が設定されています。
- ブラジル:WBGTが特定の基準値を超えた場合、新鮮な飲料水の提供などの予防措置が義務付けられています。
- 中国:気温が40℃を超えると屋外作業は中断されなければなりません。2023年には、北京の気温が27日間連続で35℃を超え、屋外作業が一時的に禁止されました。
- スペイン:2023年5月に制定された政令により、屋外作業者は、職務特性や健康状態に基づいたリスク評価を行い、保護措置を講じる必要があります。熱波警報が発令された際には、特定の作業の制限や労働条件の変更が求められ、作業中断の場合でも賃金は減額されません。建設部門の団体協約では、極端な気温、特に熱波時には、労働組合代表者が最も日差しの強い時間を避けるための異なる労働時間を提案できるとされています。
- ギリシャ:建設部門の全国団体協約では、日陰の気温が38℃を超えた場合、賃金減額なしで作業を中断しなければならないと規定されています。
労働組合も労働者の保護に積極的に取り組んでいます。例えば、米国のチームスターズは、UPSとの新たな5年契約で、トラックの空調設備や換気の改善を交渉しました。また、国際建設林業労働組合連盟(BWI)は、ベルギーの建設会社BESIXと国際枠組み協定を締結し、中東の建設労働者を極端な気温から守るため、涼しい休憩場所の提供、冷たい水と水分補給塩の供給、作業時間の調整などを実現しました。アラブ首長国連邦政府は、「Safety in the Heat」プログラムを立ち上げ、約80万人の労働者と雇用主に対し、水分補給、塩分摂取、休憩、徐々に熱に慣らすこと、作業負担の軽減、リスクのある個人のモニタリングなどの対策を教育しています。
ILOは、「職場における環境要因に関するILO行動規範」など、過度な熱から労働者を守るための指針を多数提供しています。
紫外線(UV)放射からの保護
太陽からの紫外線(UV)放射は、特に屋外作業者にとって深刻な健康リスクをもたらします。WHOとILOの共同推計によると、毎年16億人の労働者が職業的に太陽UV放射に曝露されており、そのうち約1万8960人が非メラノーマ皮膚がんで死亡しています。アフリカ地域と東南アジア地域での曝露人口の割合が最も高く、ヨーロッパ地域では最も低いです。
UV曝露による短期的な影響には日焼けや目の損傷がありますが、長期的な影響は白内障、黄斑変性症、翼状片、免疫システムの弱体化、そしてメラノーマ、基底細胞がん(BCC)、扁平上皮がん(SCC)といった皮膚がんなど、深刻なものがあります。国際がん研究機関(IARC)は、太陽放射全体およびUVA、UVB、UVCをヒトに対する発がん性物質(グループ1)に分類しています。世界の気温が2℃上昇すると、2050年までに皮膚がんの発生率が11%増加すると予測されており、伝統的に涼しい気候の労働者もリスクが高まる可能性があります。
屋外作業者は、屋内作業者に比べて2~3倍、時には国際的な推奨限度の5倍以上のUV放射量に曝露されることがあります。非保護の屋外作業者にとって、UV放射の職業曝露限界は、夏期には通常10分以内に超えられます。ドイツでのGENESIS-UVプロジェクトでは、建設業、原材料採掘業、農業など、高レベルのUV放射に曝露される職種が特定されました。
世界中で、太陽UV曝露に関する具体的な法的職業曝露限界(OELs)は存在しないことが指摘されています。しかし、いくつかの国では労働関連皮膚がんを職業病として公式に認定しており、例えばドイツでは2015年に一部の皮膚がんが認定された後、報告件数が大幅に増加しました。
各国や機関はUV保護のための取り組みを進めています。
- フィリピン:労働諮問委員会が、帽子、ゴーグル、UV保護眼鏡、快適な長袖シャツなどの個人用保護具(PPE)の提供を規定しています。
- スペイン:アンダルシア労働災害予防研究所が、屋外労働者の太陽曝露によるリスクを防止するための実用的なガイドを発行しています。
- 英国:建設業の慈善団体「We Build the Future」が、建設部門における太陽安全キャンペーンを開始し、この部門の労働者が英国の労働人口の8%に過ぎないにもかかわらず、職業性皮膚がんの診断の44%、関連死の42%を占めているという実態を啓発しています。
- アイルランド:国家皮膚がん予防計画(2023-2026年)において、屋外労働者を含む高リスクグループへのUVリスク啓発、雇用主へのUVリスク政策導入支援、健康な職場イニシアティブへの皮膚がん予防メッセージ組み込み、関連する利害関係者との連携が優先事項とされています。
- WHO、ILO、WMO、UNEP:共同で、UV指数を予測するARPANSAアプリをリリースしており、世界中で無料で利用可能です。
ILOは、「職場における環境要因に関するILO行動規範」において、屋外作業における太陽への曝露を含む光学放射への危険な曝露を引き起こす可能性のある設備や活動の評価を雇用主に義務付けています。
異常気象現象と労働安全
気候変動による異常気象現象は、労働者の安全と健康に甚大な被害をもたらします。洪水、干ばつ、山火事、ハリケーンなどのイベント中に労働者が危険にさらされるだけでなく、直後や清掃作業中にも曝露される可能性があります。これらのイベントは、工場や採掘現場などの危険な施設に大きな損害を与え、有害物質の放出、火災、爆発を引き起こすこともあります。
世界の死亡者数のうち、異常気象イベントによるものを見ると、干ばつが39%、洪水が34%、暴風が16%、極端な気温が9%を占めています。特に低所得国では、死亡者全体の53%を占めており、脆弱な地域での影響が顕著です。
2023年には、アジア各地での記録的な熱波(中国では52.2℃を記録)、チリでの山火事、北京での深刻な砂嵐といった異常気象現象が発生しました。
国際機関や各国政府は、異常気象に対する計画と対応の重要性を強調しています。
- 米国:OSHA(労働安全衛生庁)は、雇用主が職場特有の計画を策定し、従業員を訓練し、計画を定期的に見直し、実践することを推奨しています。
- アラブ連邦:アラブ職業安全衛生研究所とシリア高等環境研究所が、自然災害予防・リスク軽減イニシアティブを実施し、災害リスク管理の改善と対応力強化に焦点を当てました。
ILOは、「重大な産業事故の防止に関する条約(第174号)」(1993年)とその付属勧告(第181号)(1993年)において、化学物質やその他の有害物質による産業災害の予防措置を概説しており、異常気象イベントによる「自然の力」を原因とする重大な産業事故もその範囲に含まれています。
職場における大気汚染の影響
大気汚染もまた、労働者の健康を脅かす重大な要因です。ILOのデータによると、屋外作業者だけでも毎年86万人の労働者が大気汚染に関連する疾病で死亡しています。16億人の屋外作業者が大気汚染のリスクにさらされています。
大気汚染の主な成分には、粒子状物質(PM10、PM2.5)、窒素酸化物、二酸化硫黄、オゾンなどがあり、化石燃料の燃焼、粉塵、ディーゼル排出ガス、産業活動、発電所、建設現場、廃棄物燃焼などがその発生源となります。これらの汚染物質は、肺がん、呼吸器疾患、心血管疾患といった主要な健康影響を引き起こします。特に屋外作業者、運輸業の労働者、消防士が高いリスクを抱えています。
対策としては、フィリピンのサン・ミゲル・コーポレーションと労働組合との間で、大気汚染からの保護に関する協定が締結され、労働管理委員会がその実施責任を負うことになりました。英国安全評議会は、屋外労働者の大気汚染からの保護を求める「Time to Breathe」キャンペーンを実施し、汚染監視の強化と雇用主への対策提言を行っています。
ILOは、「重大な産業事故の防止」の行動規範において、大気汚染の側面にも触れています。
媒介性疾患への対策
屋外作業者は、蚊やダニなどの媒介生物によって引き起こされる疾病、すなわち媒介性疾患に対しても脆弱です。気候変動は、媒介生物の地理的分布や活動期間を変化させ、これらの疾病のリスクを高める可能性があります。
各国では、媒介性疾患の予防と管理に関する措置が講じられています。
- モザンビーク:職場において、必要に応じて食堂の窓に蚊帳を設置することが義務付けられています。
- メキシコ:公衆衛生基準が、デング熱、マラリア、シャーガス病、オンコセルカ症、リーシュマニア症など、媒介性疾患の疫学的監視、予防、管理について規定しています。リーシュマニア症は、ジャングル、カカオ、コーヒー生産地域の住民に影響を与えることが多いため、職業病と見なされています。
- バルバドス:労働安全衛生法において、職場での媒介生物管理プログラムの実施が義務付けられています。
- マラウイ:英国の国立健康ケア研究所の研究グループは、新たな灌漑計画がマラリアや住血吸虫症などの媒介性疾患に与える影響を調査しています。
ILOは、「媒介性疾患」に関する情報提供と関連する行動規範を有しています。
農薬曝露のリスク管理
気候変動は、害虫の生態系を変化させることで、農薬の使用量に影響を与える可能性があります。これにより、農薬への労働者の曝露リスクが増大する恐れがあります。農薬への曝露は、急性中毒だけでなく、慢性的な健康問題、精神衛生上の問題(抑うつ、不安、自殺)、慢性腎臓病など、広範な健康影響を引き起こす可能性があります。
多くの国で、農薬の安全な使用に関する具体的な規制が導入されています。
- ジンバブエ、レソト、セントルシア:農薬の表示に関する規定があります。
- カンボジア:換気に関する規定があります。
- モザンビーク、カンボジア、フィリピン、チリ、コロンビア、クロアチア:情報提供と訓練に関する規定があります。
- モザンビーク、コロンビア、チリ:個人用保護具(PPE)に関する規定があります。
- 韓国:農薬の散布、燻蒸、注入を行う職場における具体的な措置を規定しており、農薬の混合時に粉塵やミストを最小限に抑え、測定と装置に関する情報を労働者に提供することを義務付けています。
- コスタリカ:農薬の散布は、気温の低い早朝または夕方に行うべきであり、午前10時から午後2時までの間は禁止されています。また、連続して4時間以上農薬散布作業を行うことは禁止されています。
- ホンジュラス、ウルグアイ:妊娠中または授乳中の労働者の農薬作業への従事を禁止しています。
- マレーシア、タイ、フィリピン:農薬や天然肥料への曝露リスクがある労働者に対して、医療監視と健康診断を義務付けています。
地域レベルでは、オマーンで農薬の安全かつ効果的な使用に関するワークショップが開催され、実践的な訓練や代替手段に関する教育が行われました。米国の非営利団体「Farmworker Justice」は、農作業員の気候危機への影響に関するシンポジウムを開催し、農薬安全訓練の資金増額、農薬製品ラベルのスペイン語表示義務化、農作業員の曝露を評価するためのバイオモニタリングへの投資などの政策提言を行いました。
国際的な枠組みでは、2023年に採択された「化学物質に関するグローバル枠組み(GFC)」が、管理されていない高危険度農薬(HHPs)の段階的廃止と、より安全で安価な代替品の利用を求めています。
ILOは、「職場における化学物質の安全な使用」の行動規範を策定し、農薬に関する実践的な提言を行っています。
まとめ
気候変動は、労働者の安全と健康に新たな、そして深刻な脅威をもたらしています。過度な熱、紫外線放射、異常気象現象、大気汚染、媒介性疾患、農薬への曝露といった課題は、世界中の何十億人もの労働者に影響を与えています。これらのリスクは相互に関連し、労働者の脆弱性を高める可能性があります。
労働安全衛生管理システム(ILO-OSH 2001)のガイドラインや、各国での具体的な規制、団体協約、啓発活動、国際的な協力は、この喫緊の課題に対処するための重要なステップです。未来の労働環境を守るためには、政府、雇用者、労働者、そして社会全体が連携し、包括的かつ予防的なアプローチを強化していく必要があります。